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〜そして誕生死〜
前の記事の続き。入院中の出来事です。
 

2013.12.28(土)18w0d
B病院へ入院。
父が車で送ってくれて、旦那に付き添ってもらい陣痛室へ。
この日から旦那がちょうど年末年始の休暇だったので、
そばにいてもらえるのがありがたかった。
普通の病室かと思ったら陣痛室で処置が終わるまでは入院らしい。

入院着に着替えて分娩室へ行き、すぐに最初の処置が始まる。
エコーで先生が赤ちゃんを確認したりして、
子宮口を開くためのラミナリアを挿入。
(海藻みたいなもので、ふやかして膨張する)おそらく6本入れた。
何か器具で無理やり開かされて入れる感じなので、ものすごい違和感。
ときどきチクチクはするけど、痛みはそんなには強くはなかった。
おそらく経産婦だから痛みはそれほど感じなかったけど、
初産婦でこれはすごくきついと思う。
入れられた後はずっと下腹が重くて異物感があるけど、
普通に生活できるくらいで気になるほどでもなかった。

午前中は旦那さんも付き添ってくれて、
その後はしばらく陣痛室でゆっくり過ごした。
途中で埋葬に関する手続きの説明があった。
まさかこんな年で我が子の火葬とか、そんなこと想像もしてなかった。
病院で葬儀屋の手配もしてもらうことにした。
明日お産だというのに、火葬の事まで頭が回らなかったから、
自分たちで手配することまでできないと思った。

でも今思えば、火葬も全て自分たちで納得できる会社に頼めば良かったと、
後になって後悔しています。
もしこれからそういうことがある人には、
どんなに大変でも、自分の納得いく形で埋葬してあげて欲しいと、強くお伝えしたいです。
病院で手配してくれた会社では、火葬の立ち会いはできないと言われて、
いまだにここだけが一番の心残りです。

その後はお昼ご飯を食べ、安静に過ごす以外ないので、旦那さんも帰宅。
午後は少し眠ったり、読書したりのんびり過ごした。
途中、気を遣ってくれた助産師さんが、
赤ちゃんに手紙を書くための便箋と封筒を用意してくれたり、
棺に入れるためにガーゼのお花を作ってくれたりして、
そんな優しさが本当にありがたくてありがたくて、何度も涙がこぼれた。
何の準備もないままに来てしまった自分が恥ずかしかった。
やはりこの病院にして良かったなぁと思えた。

17時、ラミナリアを入れ替えるため再び分娩室へ。
今度はさっきより圧迫感がすごい。
13本入れたらしい。
入れられてる間、子宮口が引っ張られるような、なんとも言えない異物感。
そして下腹がものすごく重い。
まぁこれぐらいなら重い生理痛って感じでしょうが。
そのまままた陣痛室へ戻って待機。
明日の朝までは他に特にないはず。

ラミナリアを入れ替えてからは、お腹の張りが結構出るようになってきた。
夜は全然眠れず、おなかの中が引っ掻き回されるような感じがよくあった。
前駆陣痛みたいなものかな。
本を読んだりラジオを聴いたり、あまり眠れないままに夜が明けていった。


2013.12.29(日)18w1d
朝方3時頃にトイレに行ったら、
子宮口に詰めてたガーゼが押し出されてくる感じが。
助産師さんに言ったら、まだちゃんと入ってるから大丈夫とのこと。
少し力を入れると出てきちゃいそうでソワソワ。

朝7時、検温血圧測定があって、
またトイレに行ったらガーゼが落ちてしまった。
もうすぐラミナリアも抜くところなので問題ないとのこと。

8時、呼び出した旦那さん到着。
8:15ぐらい、ラミナリアを抜いて、陣痛を起こす膣錠をひとつ入れた。
昨日の説明では、膣錠2.3個目ぐらいで出てくるって話だったけど、
薬の効きのいい私は暫くしてすぐお腹の張りが強くなってきた。
まだ我慢できるかな〜と思ったけど、8:45ぐらいにナースコール。
助産師さんが様子を見てくれて、分娩室へ移動しましょう、と。
予想より速い展開。旦那を呼び出しておいてよかった。

分娩台へ移動して、診察してもらいつつ、様子見。
陣痛の波はそんなに激しくないものの、明らかにきているよう。
9:00過ぎでしょうか。
バシャッて感覚で、破水した。
そこからは赤ちゃんの手がもう出そうになっていて、みんなバタバタ。
何回かの陣痛の波の後、ぬるぬるっと赤ちゃんが出るのがハッキリとわかった。

9:16死産。

もちろん、産声は無い。静かなお産だった。
赤ちゃんは割とするっと出たんだけど、
そこで陣痛が落ち着いてしまって、胎盤がなかなか出て来ない。
少しの痛みはくるものの、すぐ引いてしまう。
仕方なく、先生が少しずつ丁寧に剥がしてくれて、なんとかやっと出た。
9:38胎盤娩出。

そこからが長くて、胎盤がするっと剥がれなかったから、
子宮内を綺麗にするために処置が暫く続いて、
その間ずっと足に力が入っててブルブル震えてた。
なんとか卵膜も剥がしてもらい、10時くらいにやっと落ち着けた。

そして、ついに赤ちゃんとの対面。
見た瞬間、やっと死産というものが現実として受け入れられ、
それまで出なかった涙が溢れた。
赤ちゃんは、とてもとても小さくて、棺の中でゆっくりと休んでいた。

123g、19.5cmの小さな小さな命。
お腹の中で、懸命に生きようとしていたんだね。
そして、やっぱり、とても浮腫んでいました。
苦しかったね、辛い思いをさせてごめんね。
首周りと、お腹の浮腫みが一番ひどかった。
お腹の上には手を綺麗に乗せてもらっていて、
そのおててにはしっかりと5本指が揃っていて。
お顔は、お兄ちゃんたちが生まれた時とそっくりだった。
口元はパパ似だと思う。

助産師さんが、優しく声をかけてくれて、
生きてる赤ちゃんみたいに接してくれて、一緒に写真も撮ってくれた。
赤ちゃんは、それでもとても綺麗な状態で出てきたのだそうだ。
あとで先生も言ってくれたけど、
もっとフニャフニャになって出てくることも多いから、とても綺麗です、と。
たぶん、お腹の中で死んでいることに気付くのが遅かったら、
もっと形が崩れていたんだと思う。

助産師さんや先生が、とても優しく接してくれて涙が出た。
性別は、だいぶわかりにくかったけれど、おそらく男の子でしょう、とのことでした。
考えてきた名前をつけてあげた。その名前で呼んであげた。
外の世界を見せてあげられなくてごめんね。
美味しいもの食べさせてあげられなくてごめんね。
ガーゼのお布団に乗った赤ちゃんを抱っこさせてもらった。
とても柔らかくて、今にも壊れてしまいそうな小さな体で、一生懸命生きてくれた。
今回は残念だったけれど、またママのところに戻っておいで。
その時は元気に産まれてきてね。


*******

その後は、棺の中に、人形や長男が折った折り紙、
両親からの手紙、長男からの手紙、
それから私たち家族4人が写っている写真を入れてあげた。
私たち家族の事を忘れないように。
助産師さんが一生懸命作ってくれたガーゼのお花で周りを囲んであげた。
赤ちゃんは冷たい場所にいさせてあげないと崩れてしまうけど、
会いたくなったらいつでも声をかけてくれれば連れてくるからね、と言ってもらえた。
ただ見つめているだけで何もできないけど、
何度もその姿を目に焼き付けた。

幼稚園のママたちの一部には、妊娠の事を伝えていたため、
報告をどうしようか悩んだ。
でも年が明けてから言うより、伝えるなら、
2013年のうちに悲しみは置いていきたいと思った。
そして死産の事をメールで皆さんに報告した。
次々と優しく温かいメールが届いた。ありがたかった。
何より私の心と体を気遣ってくれていた。
私の体が無事でよかったと。。。
そんな風に思ってくれるママたちに囲まれて幸せだと感じた。
メールを読みながら何度も涙した。

昼、夜と、ご飯は普通に食べられた。
でも、一番つらいのがなぜか食事の時間。
お腹にいた赤ちゃんは何も食べることができずに死んでいったのに、
私は普通にご飯を食べられている。
申し訳ない気持ちとか、当たり前に食べてる自分への腹立たしさとか。
ごちゃまぜの感情になりながら、涙があふれた。

夜、一人になると、また無性に悲しみがこみ上げてきて、苦しかった。
お腹に手を当てても、もうここには誰もいない。
病棟も、産婦人科の病室だとつらいだろうからと、
全然関係ない病室に移された。
別に、妊婦さん見ても赤ちゃん見ても平気なのに。
その特別扱いの方が、この時の私にはこたえた。
あぁ、私はもう妊婦ではないのか、と。

苦しくて眠れなくて、
久しぶりの入院で夜つける電気がどれだったか忘れて
思わずベッドの上の電気をつけてしまったら、
看護師さんに「電気つけるなら枕元のにしないと迷惑になるので」的なことを
言われ、もちろんこちらが悪いのだし、
向こうは普通に言ったつもりなのだろうけど、
すごくしかられた気分になって落ち込んで追い打ちをかけられて、
その後は号泣が止まらなかった。
真っ暗な誰もいない談話室に行って一人で号泣した。


2013.12.30(月)
前の晩はほとんど眠れなかった。
何度も何度も、悲しみの波が襲ってきて、声を殺して泣いた。
それでも私の体は順調に回復して行った。

旦那さんが長男を連れて来てくれた。
長男に、赤ちゃんを見せるかどうかはとても悩んだ。
あんな小さな、普通では生まれてこない時期の赤ちゃん、
見せたらトラウマになるのではないかとも思った。
でも最初で最後のお別れの時間。
この子なら大丈夫と思って、対面させた。
長男は不思議そうに見ていた。
私が泣きながら、「一緒に遊びたかったね」と言ったら、
長男もボロボロと泣いてしまった。
それでもなんとか受け止めている様子だった。

赤ちゃんは、棺いっぱいにプレゼントを入れられ、
最後のお別れをして、葬儀屋に引き取られていった。
年末年始を挟むので、火葬は1月6日になるという。

その後の診察でも私の体は問題なく、
昼前には退院となった。
昨日の今日で、こんなに早く退院できるとは思わなかった。
ママを苦しませずに出てきてくれて、親孝行な赤ちゃんだなと思う。

旦那と長男と3人で帰宅した。
家に帰ると次男も待ち構えていて、数日だというのに懐かしくなった。
ずっと抱きしめていたいと思った。
これからこの子たちをもっともっと大切にしなくてはと強く思った。
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